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キリスト教について ここが聞きたいQ&A |
Q20.天国は本当にあるのですか? | |
聖書が言っている天国とはどういうところなのでしょうか? | |
私は40歳になった時、自分の葬式について考え始めました。私の葬式では『讃美歌』66番「聖なる、聖なる、聖なるかな」を歌ってほしいと思います。これと同じ歌詞の賛美を、私は天国で天使といっしょに神へささげるのです。そして、天国で永遠に喜んでいる私の死を悲しまないでほしいと願っています。 今まで私は、死に臨んだ人々に、「キリストがあなたを必ず天国に入れてくださいます」と語ってきました。また、召天者の記念会では、「天国で再開できます」と、遺族の方々を励ましています。天国は単なる慰めのことばではありません。天国はもちろんあります。私は天国を確信しています。キリストが天国を見せてくださったからです。 クリスマスに天国からこの世界に来られた神の御子であるキリストは、天国がどんなところかを教えてくださいました。キリストがおられるところは地上の天国でした。また、病気を癒し、罪を赦し、死者を生き返らせるというお働きによって、天国が、病気も罪も死もない世界であることを見せてくださいました。キリストの十字架の死は、ご自分のいのちを犠牲にしてでも私たちを天国へ入れたいと願っておられる愛の現われです。そしてキリストは、永遠のいのちと体を持った栄光の姿で復活され、やがて天国で永遠に生きる時の私たちの栄光の姿を見せてくださったのです。 キリストはまた、私たちの中に天国を始められました。聖書が言っている天国は、単なる死後の世界という意味ではありません。天国は、神がおられ、神が支配しておられ、神のみこころが行なわれているところで、「神の国」とも呼ばれます。この意味で、キリストが始められた教会も「地上の天国」なのです。私も国際会議に参加して、世界中から集まった多くのクリスチャンの中にいますと、天国にいるような気持ちになります。もちろん、教会は完全な神の国ではありません。多くの弱さや罪があり、神のみこころに完全に従ってはいないからです。私たち教会とクリスチャンは、神の国と神の国民として成長したいと切望しながら苦闘しているのです。 しかし、三位一体の神に感謝します。父なる神は、だれでも、キリストにある一方的な恵みによる救いを受け入れ、永遠に神と人を愛して生きたいと願う人々を、聖霊によって、復活のキリストと同じ栄光の姿に造り変えてくださり、神のみこころを完全に行なうことができる、天国人として完成されるのです。神は教会を「永遠の神の国」として、クリスチャンを「永遠の神の国民」として完成してくださるのです。 私は時々、「あなたは、今死んでも天国に行けると確信していますか?」と聞かれることがあリます。そんな時はいつも、「私は、自分が死んだら天国へ行けるような良い人間になれるとは思えませんが、キリストが私を天国へ入れたいと願っておられ、キリストには私を天国へ入れることがおできになると確信しています」と答えるようにしています。私にとって、死は天国への門なのです。 永遠の神の国である天国は、神の完全な愛と完全な義が支配する完全な平和の世界です。今の地上での私たちの生活は、私たちが心から願っている生活ではありません。弱い体と弱い心を持っている私たちは、毎日、十分に神と人を愛して生きることができないので、悩み苦しんでいます。しかし天国では、永遠のいのちと栄光の体と完全な愛の心が与えられますから、私たちは心から神を愛し、互いに愛し合い、神のみこころにしたがって生き、神の栄光のために働くことができます。天国での生活が、私たちの本当の人生なのです。 神は、この世界の終わりの日に、罪、悪魔、死等、天国にふさわしくないものをすべて滅ぼされます。これが最後の審判です。そして、永遠の新しい天と新しい地(新しい世界)を創造されます。 私は私自身の葬式で「コリント人への手紙第一」の15章28節を読んでほしいと願っています。そこには、「万物が御子(キリスト)に従うとき、御子自身も、ご自分に万物を従わせた方に従われます。これは、神が、すべてにおいてすべてとなられるためです」と書かれています。永遠の初めの日に、キリストは、ご自分がいのちを捨てて救い、神と人を愛する者に造り変え、永遠の神の国に住むのにふさわしい者とされたすべてのクリスチャンと教会、そして、王の王、主の主として、父なる神から支配することを任せられていた世界を、父なる神におささげになり、ご自分も永遠に父なる神にお従いになるのです! 是非あなたも、世界と自分のすべてが愛の神のものであることを認め、神の愛に満たされ、神と人を愛する、地上の天国での生活を始めてください。そして、キリストに似た者とされ、神がすべてにおいてすべてである天国で、永遠に生きる人とされてください。
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