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キリスト教について
ここが聞きたいQ&A


Q14.洗礼を受けないと救われませんか?
    洗礼を受けたらどうなりますか?聖餐にあずかるのはどういう意味があるのですか?

 

 私は、1965年のイースター(復活日)に木曽川で洗礼(バプテスマ)を受けました。教会の皆さんの讃美の歌声と春の水の冷たさは忘れることができません。

 

しかし、当時の私は、洗礼を教会の入会式、聖餐はキリストの十字架を思い出すための儀式ぐらいにしか思っていませんでした。牧師になった今は、これらの聖礼典については何十回でもちがう説明ができるほど豊かな意味があることに驚かされています。洗礼と聖餐の多くの意味の中から三つを選び、たとえを用いて説明してみましょう。

 

 第一は「約束」です。洗礼は結婚のようです。まず神が、私たちを永遠に愛して祝福したいと私たちを求めてくださいます。私たちはこの神の愛を受け入れます。洗礼式で私たちは、「わたしは永遠にあなたを愛して祝福する」という神の約束のことばを信じ、「私もあなたを愛して従います」と神に約束をして、神とともに歩む生活を始めます。

 

 誠実な神は、約束どおり私たちを愛し続けてくださいますが、私たちは神を愛さず神に逆らうことがあります。そこで、結婚記念日に夫婦が結婚式での愛の約束を思い出して、互いに愛し合う歩みを再出発するように、私たちは聖餐のたびに、変わらない神の愛と、洗礼の時にした神への愛の約束を思い出し、神への不従順を悔い改め、神を愛して従う歩みを再び新しく始めるのです。神とともに生きる生活は、神との愛の約束に生きることです。

 

 第二は「弟子」です。クリスチャンになるということはキリストの弟子になることで、洗礼は入門式です。キリストは、家元である神の試験に、ただ一人合格した、神と人を愛する「キリスト道」の師匠です。まず神は、「能」のように、私たちにキリストという衣装を着せ、私たちを神と人とを完全に愛したキリストと同じ者と見なして、キリストと同じように、私たちを永遠の愛弟子として喜んで受け入れてくださいます。

 

 しかし、外見上はキリストのように見えても、罪深い私たちの動作はとてもキリストのようではありません。そこで、能の師匠が弟子たちに手取り足取り自分の所作(しょさ)を教えるように、キリストは私たちに、ご自分の愛、考え方、ことば使い、行ない、生活などを教えてくださるのです。聖餐は、師匠のキリストを覚え、「キリスト道」の稽古をする時です。私たちは少しずつ、神と人を愛するキリストに似た者とされていくのです。クリスチャン生活はキリストを身につけていく歩みです。

 

 第三は「家族」です。神の救いは罪人を永遠の神の子どもとしてくださる恵みです。洗礼は、神を知らなかった古い私たちの葬式の日で、私たちの神の子どもとしての誕生記念日です。聖霊によって新しく生まれたクリスチャンには、神中心の考えと神の子どもとしての性質が与えられていますが、生来の自己中心な考えと罪の性質も残っています。このため、神の子どもとされている私たち自身(人格)は神にいつも完全に愛されていることを感謝しつつも、私たちの性格と心(考え、気持ち、願い等)と行ない(ことば、行動、生活等)が神の子どもらしくなるように、悔い改めつつ変えられていく必要があります。

 

 私たちは父なる神の家(教会)に他の兄弟姉妹たちと集まり、神の家族の食卓の交わりである聖餐にあずかります。神は私たちの神の子どもとしての成長を喜んでくださり、みこころに反することを赦し、愛と恵みの糧を与えて私たちを育ててくださいます。天国で神の家族は完成されます。天国で私たちは、数えきれないほど多くの神の子どもたちとともに、父なる神の食卓に着きます。神の恵みと聖霊によってキリストに似た者に変えられる私たちは、心から神と人を愛する神の子どもとして、永遠に神の家に住むのです。

 

 あなたも是非、洗礼と聖餐の豊かな恵みを受けてください。教会の礼拝に参加していく中で、三位一体の真の神を知り、父なる神がキリストのお働きのゆえに恵みによって与え、聖霊によって完成してくださる、永遠の救いを信じて、洗礼を受けたいという願いを持たれたら、是非、牧師などへ申し出て下さい。教会には、受洗礼希望者のための準備会等があり、聖書の中心的な教え、信仰生活と教会生活等の学びをします。

 

 洗礼の形式は、水を頭に注ぐ滴礼や、全身水の中に入る浸礼等、教会によって違います。 洗礼を受けて教会員になったら、礼拝に忠実に参加し、聖餐の恵みを受けてください。聖餐式の回数は教会によって違います。病気等の場合に、病床(家庭)聖餐式をしてくださる教会もあります。是非、定期的に聖餐にあずかり、神に愛されて神を愛する歩み、キリストの弟子として、キリストに似た者に変えられていく歩み、愛と義の神の子どもとして成長していく歩みを続けてください。

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